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アミ族


【部族について】

アミ族の人物像

アミ族は台湾に人口一番多い原住民族群です、2004年に既に16万人を超えました。自分はAmis或はPangcahと呼びます。Amisは「北方」の意味がある、Pangcahは「人」、「族人」或は「同じ血縁を持つ人」のことです。早期の文献にアミ族を「阿眉」、「阿眉斯」、「阿美」或は「阿美斯」と呼んでった。しかし、アミ族は自分のことをPangcah(花蓮地区のアミ人)とAmis(台東地区のアミ人)と呼んでます。今のアミ族は「平地原住民」に分類される。族名はそのまま「アミ族」を称する。

水辺に住むことはアミ族住居地の一大特色です、普段アミ族は南勢アミ、海岸アミ、秀姑巒アミ、卑南アミと恒春アミに分類される。今のアミ族は沢山の異族人と融合してます、サキライヤ人以外にもクバラン人と西部から来た平埔族もいる。アミ族は包容性の高い、外来文化、他族を受け入れやすい民族です。



アミ族群の配布図

【地理上の分部】

アミ族の集落は族群の交流と自然の変化などの原因で何回も移動しました。初期は内部の闘争或はブヌン族、アタルヤ族、プユマ族からの脅かすで移動した、平埔族と漢民族の台東、花蓮への移住も関係ありそう。

アミ族は日本統治時代からすでに台北への移住が始まりました、最初に都会に住む原住民です。1960年代遠洋漁業の発展と共に大勢のアミ族人が船の作業員になりそのために山から台北、基隆、高雄へ移った。その後、遠洋漁業の衰弱で船から降りて建設工事に投入して都会に転転としてきた。各都会に出稼ぎ人口が多いから、集落さえできた、このような移民現象はアミ族社会文化にかなりの影響を齎しました。

 

 

 

 

【社会組織と構造】

アミ族の年齢階級組織-拉国中

年齢階層組織と母系社会はアミ族の特徴です、母親を「太陽(cidar)」と称します。赤色の伝統的な服飾や羽の冠、花の冠、肩帯びに付いた円形の貝殻、腰帯に付いた鈴などはすべて太陽である母親を象徴しています。歌の中にも母親という言葉がよく出てきます。以前「年齢階層組織」に対する研究は年齢階層の分類と功能に集中した、例え南勢式の襲名制と馬蘭式創名制の分類。以前の学者たちは年齢階層組織を政治性、軍事性、教育性に位置つけたが、母系社会に男性への心理的な補償の功能性の組織の説もあった。近年になると「年齢階層組織」への研究は年齢階層内部の運営、他の社会組織とのふれあい、階級関係などに集中する。

彼らの年齢階級組織は非常に厳格です。アミ族の集落にとって非常に重要な政治組織でもあり。長老の地位が高くて、絶対的な権威と政治権力をもっています。男の子が12歳になると年齢階層組織の予備隊に参加しなければなりません、3~8年経ったら、成年式を通して正式に年齢階層組織に参加する、年齢組に名前がもらえた。今はこう言う厳密な年齢階層組織は豊年祭の期間にしか体験できません、生活に同じ年齢階層の人がお互いに助け合う。年齢組の名前は基本的には三種類がある(循名制、創名制と折衷制)。配布に地域があまりにも広いだから部落の間に差異があっても、年齢階層組織は共通の特徴です。

 

アミ族の伝統的食べ物-阿里鳳鳳

アミ族の伝統的食べ物-石鍋

【生産方式と飲食文化】

アミ族の居住地は、花東峡谷と海岸の間に集落を作ります。このような自然環境でアミ族独特な食文化を生み出した。アミ族の飲食に三つの特徴がある;海鮮が好き、豊富な山菜文化を持つとアミなりの肉の塩付け料理。アミ族の生産方法は漁猟の他にも焼き畑で粟を栽培する。ただ多くの集落は清朝或は日本統治時代から既にお米の栽培生産に入ってます。農作業の時、男女の分業は明らかではないが粟、女性と家庭が一つの関連関係、男性、漁猟と政治活動で一つの関係で社会組織に階級性と補完性が出来た。

 

【祭儀文化と信仰】

黄貴潮さんがアミ族の宗教信仰の中心概念は「kawas」だと思います。宇宙のいろんな現象を解説するの基礎でもあり。でも今のアミ族の大部分はキリスト教とカトリック教です。外来の宗教を受けたように見えたが、古来の信仰の元素もキリスト教とカトリック教の活動にうまくしみ込んでます。

都蘭部落の豊年祭

Cikawasayはアミ族伝統的な祭師制度です。南部の台東地区のCikawasayは男性が中心で竹占いがメインです、北部の花蓮地区は女性が中心で儀式は漢民族の道教に似てます。アミ族多くの祭典は生命儀式、農作業祭儀、鬼払い、福招きと深く関わってます。「豊年祭」はアミ族にとって最も重要な祭典のひとつです。でも、豊年祭の読み方は其々異なる、祭儀の内容も多少違います。

 

 

【居住型態】

漢民族がアミ族の領域に侵入する前に、アミ族はプユマ族、ブヌン族、アタルヤ族、タルコ族と混住していた。花蓮に一部のアミ人は自分がサキライヤ人と強調する、清朝に奇莱事件があったため、強制的にアミ族の集落に移住されアミ族になってしまった。

アミ語に部落がniyarodと呼んでます。Niyarodは柵内の人と言う意味で、アミ族の強い社群概念がはっきりわかる、これは社群形成の基礎になり、年齢階層組織、緊密な親戚関係の厳密な社会システムが出来る。経済化と現代化の影響で多くのアミ族人が生計を立てるために続々と都会へ出稼ぎに行って、大勢の都市集落が形成した。これらの集落は故里の社会組織制度そのまま、年齢階層組織に似てる青年団体を作ってチームリーダもいる、毎年故郷の「豊年祭」の後、9~12月の間に都会集落の「豊年祭」を行います。

 

アミ族のハーモニカ

アミ族の陶器

台東のアミ族が豊年祭に歌う

【工藝、藝術及音樂表現】

音楽の他に、木彫り、独特の造型で祭儀と生活両方に使えるアミ陶器、複雑かつ華麗的な伝統衣服と十字刺繍など代表性のある芸術もある。祭事の歌舞だけではなく、日常の歌舞も豊富で、原住民の歌舞といえばアミ族の歌舞といわれるほどである。その歌と踊りのリズムに華やかで、力強く、アミ族舞踊の特色が見られます。

アミ族の踊りと唄は多様多彩かつ特色のあるものです。アミ族の歌舞は祭儀の意味の他には体力の訓練と団結の功能もある。踊りの形式は日常生活にの土地と農業、漁業活動と女性のイメージと深く関わってます。今はアミ族の歌舞は原住民の歌舞の代名詞にも言えるでしょう。多くの観光地にもアミ族の歌舞が披露してます、毎年7~8月の間に各部落の豊年祭が大勢の観光客が惹かれます。花蓮と台東地区の自然環境と歴史資源(例え大港口、奇美、成功、都蘭など)を利用して、徐々にアミ族文化観光重点地区へと発展していきます。

 

【族群と政府の関係】

アミ族は他の原住民族群と同じ、元々は独立的な政治団体なのに強制的に国家体制に納入されてしまた。国家と言う体制の間にいろんな揉め事と衝突が発生した、例え、礼宛事件、大港口事件、七脚川事件と成廣奧事件など、アミ族に多くの死傷者が出て遷移しなければなりませんでした。中華民国時代まで、アミ族を含む全ての原住民族が長期的に「認同の汚名化」の中に置かれた。1983年から「原住民の政治的社会活動」が活発し始めた、アミ族の夷將‧拔路兒もリーダとして先頭に立った。

政治と社会運動の他に、アミ族からも大勢のアーティストが現した、長期的に抑えられてきた芸術のエネルギーが爆発した。ここに芸術者らにより表した文化の力と政治活動により得た成果が見えた。
近年族名の回復、物質的文化、歌舞の披露、母語の認証、年齢階層組織と豊年祭の振興などの活動が盛んでます。大勢のアミ族人がこの文化復活の波に、アミ族独特の文化を基にして多元文化と交流して、アミ族なり新しく多様多彩な独特のアミ社会文化を生み出した。

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